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スウェーデン家族政策のルーツは、1700−1800年代のスウェーデン社会における、自らの力によって扶養できない人たちへの貧困対策に求められる。1800年代は農業社会の社会的構造の分解が始まり、都市への人口集中化、女性人口の過剰、産業化の促進に特徴づけられる時代でもあった。産業化により、安い労働力として小児労働の需要が増し、劣悪な労働条件を改善するための末成年労働者の労働時間規制などの処置がとられていった。
今世紀初めはまた、未婚女性に生まれる婚外子が多く、子ども全体の20%を占めるにいたったことが指摘される。一人親(母親)による子どもの扶養問題は、スウェーデンだけではなく各国の社会問題でもあった。スカンジナビア諸国でとられた対策は、子どもの実の父親に養育費の支払いを要求することであった。スウェーデンでは、すべての未婚の母親に児童福祉官がつけられ、父親からの養育費獲得を援助した。養育費獲得にあたり、重要なのは実父による子どもの認知であった。当時の医学的レベルで実父証明をすることは容易でなく、したがって母親の証言に重点がおかれ、証言で指摘された男性が父親でないことを逆証明するという方法がとられた。婚外出生児を嫡子、非嫡子と分けなかったことが、子どもの法的権利を擁護するという点からスウェーデンが他の国と大きく異なるところであった。したがって、スウェーデンではほとんどの子どもが認知した父親をもっており、早くから遺産相続権も有するものであったといえる。
スウェーデンの近代的家族の形成は1930年代から始まり、産業化による経済的変化への最終的調整として確立されたと、たとえばアルバ・ミュルダールは分析している(Myrdal.1944)。近代的家族と従来の伝統的家族の根本的違いは家族のもつ経済的機能であったことである。家長制度における家族の重要な機能は、なによりも生産単位であり、同時に消費単位であるという独立した経済単位であったことだ。産業化により、生産と消費が分離ならびに個人化し、独立した経済単位の分解とともに妻子による家族労働の生産的貢献は家庭経済において次第にその意味をなくしていった。このことはまた、今まで家族によって扶養されてきた非生産グループ(子ども、高齢者、障害者など)の扶養が困難になり、社会が家族に替わって彼らを扶養しなければならないことを意味していったといえる。
独立した生産ならびに消費単位であった家族の経済的機能の消失は、社会の流動性を増加させ、家族の労働共同体としての機能を奪い、家族生産活動の減少による女性や子どもの経済活動からの孤立と、無活動な日常をもたらしていった。ミュルダールによれば、このことはまた就労により現金収入が可能であった男性の家族扶養者としての権限を拡大していったことにもなる。したがって、当時の女性解放運動は、産業化のもたらした男性権力の強化に対する抗議であったと、ミュルダールは分析する。産業化による社会変化が家族機能の変化を余儀なくし、1920−1930年にかけての出生率の低下、人口問題の危機をもたらしたというものであり、人口問題の危機は社会制度としての家族の危機でもあった。

 

 

 

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